こんにちは。
今日は妻の通院の日で都内へ。
タイトルに興味を惹かれ、時間があったので松屋銀座7階の「弱さの工芸」を見てきました。
写真はガラス越しだったりします。
入口のパネル
「弱さ」には反応したけど、古物は工芸か?という思いをもちながら古物を探しにいく感覚で行ってきました。
並んでいるのは古さと新しさを両方兼ね備えている時間を呑み込んだ、そこらへんに転がってそうで絶対にないものばかり。
みんなかっこいい。本当に素直にワクワクする。
原研哉さんの文中で「使い手の気持ちを呼び入れるやさしい工芸」という言葉があった。
確かに昔から自然災害や日々のストレスから解放してくれるような自分に寄り添うものは必要だと思うし、ファッションや食事などもそのひとつであると思う。
よくこうゆう展示で使われる「工芸」という括り、呼び方。
最近は 「なんで工芸?」とみんな感じるらしい。工藝青花効果?
現代工芸品の枠を広げて古物っぽいアートっぽいクラフトっぽいものを工芸と呼びたいのか?
たぶん「ぽい」といわれるのは嫌だろうし、僕に置き換えればやっぱり「ぽい」は嫌だ。
流通とかの問題で作り手、売り手目線のお題かもしれない。
お題をだされるので一緒になって考えてしまう。
着る人とファッション、料理とうつわ、古物のある部屋、暮らしに寄り添うものを工芸というならこの展示は工芸だ。
僕はセレクトショップをしているので古物と作品が横にフラットにみられるのでこのような展示は面白い。
僕は主催者でも何でもない古物商なので、ひとつひとつ鑑賞するのみに集中する。
展示で選ばれているものは「売る」とか「流通」は完全に後からの問題で作者または蒐集家の等身大の表現に他ならないと思った。
古物や古いもののエッセンスから膨大な想像力も時間も呑み込んでつくりだされるあたらしい作品たち。このものたちは今後どこへ向かうのだろう。
骨董商や現代美術家も夢中にさせる見たこともないその物体の表面や質感(いわゆるテクスチャーやマチエールといったものの魅力)や古物の見せ方(配置)込みの表現能力。
人の産物だったり、自然に風化したり、偶然の産物だったりで面白い。
ありそうでないもの。
その表現力が凄くすぐれているのだ。
何かを見極める眼がすぐれているのだ。
「存在感」という空気のようなものに価格や定義でははかれない大事な成分は含まれている。
清い生き物のように見る者に静かに刺激を与える。
古物はある人には支えになり、ある人にはゴミにもなりうる危うさをひめている。
でも作家さんのものは正しく残っていく気がする。作品に対する愛情がとても伝わる。
自分に正直に作ってるんだろうなと思う。
古物商の自分はこの危うさが好きなんだと思う。そして時々、丸さにも似た温もりや愛情がほしくなったりもする。
ただ熱帯魚をじっと見つめるように楽しんで帰ってきた。


現在過去、物の生まれた土地、自分の記憶をリミックスしたような座辺の美術。

いかに魅力的にみせるかという領域の面白い古物の世界。
ただ手にとって鑑賞するばかりでないコラージュ感や美術品のようなライティング。生ける、ディスプレイ、スタイリングとも違う心のこもった配置。
この行為をなんてあらわしたらいいんだろう。

主催/日本デザインコミッティ-
監修/三谷龍二
2/20(火)ー3/19(月)
出品者
秋野ちひろ
冨沢恭子
古い道具・冨永淳
森田春菜
山本亮平
古道具と品々
MOROcraft (モロクラフト)
〒328-0037 栃木県栃木市倭町10-3
TEL/FAX 0282-21-8838
営業時間AM12:00~PM6:00(土日はPM7:00まで)
定休日 月曜日(詳しくはブログのカレンダーをご覧ください)
店頭のみクレジット可
※通信販売も行っておりますので気軽にお問い合わせくださいませ。
(Email )lovepeacesmile29@gmail.com まで