うちの bubble wrap バブルラップ
2019年 01月 06日
熊本現代美術館で村上隆さんが「バブルラップ bubblewrap」という展示をされている。
以前カイカイキキギャラリーで見た「陶芸←→現代美術の関係性ってどうなってんだろう?現代美術の系譜に陶芸の文脈も入れ込んで」展の拡大版のようなので気になる。
今回は日比野克彦やらグルービジョンやら古道具の坂田さんまで登場なのでいきたいような、いきたくないような。
中学生の時、神保町でトマソンの隣にあった日比野さんの写真集を手に取り、段ボールでできた苺のショートケーキを見たときにはぶっ飛んだ記憶があるし、坂田さんちのハリボテもあるらしい。希望としてはトマソンや船越桂さんや杉本博しさんやらも見れたらいいけどコレクションしてなさそう。トマソンはストリートから生まれてものんびり楽しむから表現にパンチはない。個人的には路上観察学が出てきたときにどう感じたか、坂田さんにお聞きしたい。ストリートで育ったはずもない柳や魯山人は時代を超え「物の見方を変えた人」だから村上さんに当選したのだろう。古美術の人の関心もむくでしょう。
今回の展示は世界の現場にいる村上さんにしか見えない世界だろうし、語れない。日本の現代美術、アートとお金の世界、アート界リッチと貧乏人の気持ち。戦後の現代アートと古道具坂田の美になにをみるのか。交差する時空。
表現として共通する何かを知るべくしての構成であろうか。選んで並べてみたら気付くこともあるしな、と勝手に思う。
村上さんはどんなパンチをくりだすのか。
話は飛ぶが、いつも思うがこういうコレクションの展示は作品なりの本人が生きている場合、こういう風に展示しますよー、と許可を取っているのだろうか。古物が死んでしまっている場合も多い。そういう展示とは趣旨が違うということか。どう使い回そうが持ち主の勝手なので自由だが悲しい結末だ。そうならないことを思う。きちんと再現しないと悲しい。
僕は古物商のペーペーで安価な品物しか扱うことがかなわない身である。どう想像したって村上さんや柳さん、魯山人さん、坂田さんの立場や行動力や財力にはいわずもがなである。
必然と手元にある本物の古物バブルラップ(プチプチ)をじっと見ることになる。黄変したプラスチックの容器の底に3枚重なっていた丁寧に丸く切り抜かれた古物バブルラップ。
僕の仕入れは露店の地べたにヒザを付き手を埃だらけにしながら自分の気に入るものだけをさがす、唯一の朝のアウトドアライフ、朝活だ。
アーバンライフみたいに言ってみて後悔する。僕の手元にはもっと特別な古物バブルラップがある。
透けたものやセロテープを愛するきっかけになる品。
いつかのフリマの段ボールの中から発掘した。カードを入れるためのものか手作り、修理、大雑把なやつ。
でもここから何かが変わった。お金を払ってもどこにも売ってはいない。
確か、これも店主に売ってほしいと言ったら、困った顔をされ貰った気がする。
なので僕も売りはしない。
僕の中のバブルラップ時代とはこういうものだ。バブルラップ好きのバブルラップ時代のめっけもん。
貧乏くさいオチで全く関係ない話になりました。大きな世界はお任せします。