こんにちは。
昨日まで開催の目黒セントラルマーケットは無事に終了いたしました。
いらしてくださいましたお客様、気持ちよく参加させていただいたスタッフの皆様に御礼申し上げます。
ありがとうございます。
以下、ザクッとした文章ですみません。
会場のclaskaさんは目黒駅や学芸大学駅が最寄りでインテリアショップやアンティークショップなどがたちならぶエリアでもあります。90年代のビンテージ北欧、デザイナーズの「インテリアなら目黒」というブームと言われた時を乗り越え今は落ち着いたエリアになっていったというところでしょうか。日本は戦前に民藝運動があったことから、名もないものでも良いものがたくさんあるよ、もっと眼を凝らしてみてごらん、という時代を経ています。
戦後の骨董界は民藝運動の新しい価値観を無視できなくなってきたのでしょう。
大戦後のアメリカは端折って90年代。
90年代のインテリアブームは興味のある人達によってより成熟し、淘汰され、アンティーク全体に興味をもった世代はますますデザイナーの過剰なデザインに飽き飽きしていきます。そんなころ柳宗理さんのいうアノニマス(無名)なものに移行してみんなが探し出します。
骨董から空間に行った人。空間から骨董に来た人。時代は繰り返すのです。そしてなんでもありの今にいたるという感じでしょうか。ものは時代をうつすといいます。微妙な匙加減で今の感覚とはずれた気持ちの悪いものになってしまいます。
当たり前のことを説明します。
流行とはみんなが同じものに共感することです。流行のない時間はありません。欲のない人はいないということです。
流行れば物は沢山流通し、沢山の物に触れることができます。売り手、買い手、作り手も多くを学びます。
最近は100年後も色あせないものを、という長いスパンでものをつくる個人、会社も多いと思います。
何十年も愛される実用品は何十年もの間、消費者の個人的な審査をクリアしコツコツと売れ続けたものです。
最初は細々でも売上実績が信頼を表しています。いいものは、作り手はうそをついていないということにもなります。真面目につくられたことが伝わります。
それとは別に誰々が同じものを使っているから欲しいもの、見た瞬間に心をつかまれるものが存在します。古くも新しくも。
または2回、3回と見ると印象の変わるものや20年ぶりに見るとハッとするものあります。
相性とでもいいましょうか。
古いものは時間が経って使われて、埋められて、流されたりして作り手の意志を消して消して風化させてしまいます。陶器はさることながら、たとえプラスチックでも。
ものは何がいいとは言い切れません。
すべては人の気づき、成長、心持ちによります。物はされるがまま、人はあるがまま。
蚤の市に行くこと、人の店に行くこと、場を感じること、選ぶこと、見ること。
お客様と話し、同業者と話し、また物をみて、物を探して、人に感化された自分に気付く。その気づきがあるかないか。
小さなことの繰り返し繰り返し。
そんなことをしている人達が集う場所で
商売できる幸せ。
話なんかしなくてもワクワクする楽しい2日間でした。
栃木市のお店を閉めることでご迷惑をかけてしまいましたお客様がいらっしゃいましたら御礼申し上げます。
誠にありがとうございました。